合気について その10 体術の先に合気はあるか?

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合気のことを考え日々練習していると、一つの疑問にぶち当たります。

何かと言うと、

あれ今やったの、合気?それとも合気みたいな体術?

何のことか分かるでしょうか?

合気と合気みたいな体術は、外から見るとすごく似ています。

でもやる方もやられる方も、あれ今の何か違うなぁってことは分かります。

最初は分かりませんが、徐々に分かってきます。

しかし、合気みたいな体術を「体術的ワザを駆使して上手に」行うと、

合気なのか、合気に似た何かなのか区別がつかない時があります。

ここで結論を言ってしまうと

体術の先に合気はありません。

合気と体術を同じ目線で捉えてしまうと、永遠に合気にはたどり着けないです。

正確に言うと、体術と合気を同じように捉えてしまう危険性があります。

別の言い方をすると、合気に似た何か=合気と勘違いしてしまうということです。

合気上げも、上手にいなしてあげるのも現象は同じで結果相手があがります。

重要なのは合気で上げるということで、体術を駆使してあげるということではないです。。

合気なのか、合気に似た高度な体術技のコンビネーションなのかは見れば分かります。

やられればもっと分かります。

合気上げ=上がればいい

と理解していると、体術の沼から抜け出せません。

しかもその先に残念ながら合気は無いです。

僕は最近になってやっとそれに気づきました。

体術的なアプローチは身体操作を身体に覚え込ませるためには必要です。

でもその延長線上には合気の扉はありません。

合気というダンジョンを体術で攻略していき、

体術で合気の崖を上りきっても、合気の扉はそこに無いのです。

そこにたどり着いたのに、やっと合気の扉がクレバスの先に見えたという感じです。

合気は発想が違う。目の付け所が違う。だから勘の良い人はすぐに気づくかもしれない

気づかない人は一生気が付かない。

このようなことが透明な力の中に書かれています。

身体の使い方は合気でも重要です。

でもそれは、体術的アプローチではたどり着けない

でも見えてくるものはあります。

身体操作を磨いて、内部感覚を磨き続けると

力感のない”合気の世界”の扉が開きます。

何度言いますが、その扉は体術の延長線上にはないです。

。。。ないと思います。

お助

お助

そうなの?じゃぁどこに合気はあるの?

別の道筋があるんだよ。

でもその道筋は、身体操作がある程度出来ないとダメなんだ。

お助

お助

身体操作=体術なの?じゃぁ体術を極めれば合気が分かるんじゃない?

いや身体操作=体術ではないんだよね。と思うんだよ。

身体の内部の働きなんだよ。

ひょっとしたら体術の延長線に合気はあるかもしれません。

でも僕が実践して、学んできて分かったことは

合気に似た何かをつかむことは、出来ます。

ただ力感のない合気の世界には入れないです。

合気探求の道は続きます。

sukezo

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豊かな人生ををテーマに、情報発信していきます。
ギター歴30年以上、ヘタレなバイク好きです。

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