合気のことを考え日々練習していると、一つの疑問にぶち当たります。
何かと言うと、
あれ今やったの、合気?それとも合気みたいな体術?
何のことか分かるでしょうか?
合気と合気みたいな体術は、外から見るとすごく似ています。
でもやる方もやられる方も、あれ今の何か違うなぁってことは分かります。
最初は分かりませんが、徐々に分かってきます。
しかし、合気みたいな体術を「体術的ワザを駆使して上手に」行うと、
合気なのか、合気に似た何かなのか区別がつかない時があります。
ここで結論を言ってしまうと
体術の先に合気はありません。
合気と体術を同じ目線で捉えてしまうと、永遠に合気にはたどり着けないです。
正確に言うと、体術と合気を同じように捉えてしまう危険性があります。
別の言い方をすると、合気に似た何か=合気と勘違いしてしまうということです。
合気上げも、上手にいなしてあげるのも現象は同じで結果相手があがります。
重要なのは合気で上げるということで、体術を駆使してあげるということではないです。。
合気なのか、合気に似た高度な体術技のコンビネーションなのかは見れば分かります。
やられればもっと分かります。
合気上げ=上がればいい
と理解していると、体術の沼から抜け出せません。
しかもその先に残念ながら合気は無いです。
僕は最近になってやっとそれに気づきました。
体術的なアプローチは身体操作を身体に覚え込ませるためには必要です。
でもその延長線上には合気の扉はありません。
合気というダンジョンを体術で攻略していき、
体術で合気の崖を上りきっても、合気の扉はそこに無いのです。
そこにたどり着いたのに、やっと合気の扉がクレバスの先に見えたという感じです。
合気は発想が違う。目の付け所が違う。だから勘の良い人はすぐに気づくかもしれない
気づかない人は一生気が付かない。
このようなことが透明な力の中に書かれています。
身体の使い方は合気でも重要です。
でもそれは、体術的アプローチではたどり着けない
でも見えてくるものはあります。
身体操作を磨いて、内部感覚を磨き続けると
力感のない”合気の世界”の扉が開きます。
何度言いますが、その扉は体術の延長線上にはないです。
。。。ないと思います。
お助
そうなの?じゃぁどこに合気はあるの?
別の道筋があるんだよ。
でもその道筋は、身体操作がある程度出来ないとダメなんだ。
お助
身体操作=体術なの?じゃぁ体術を極めれば合気が分かるんじゃない?
いや身体操作=体術ではないんだよね。と思うんだよ。
身体の内部の働きなんだよ。
ひょっとしたら体術の延長線に合気はあるかもしれません。
でも僕が実践して、学んできて分かったことは
合気に似た何かをつかむことは、出来ます。
ただ力感のない合気の世界には入れないです。
合気探求の道は続きます。
1 件のコメント