最近なぜ合気は合気と書くのか?
そっかこういう理由だったんだ
となるほどと感じたので、その理由も含め書いていきます。
スケゾウ
合気って何で”合”と”気”なんだろうって思わない?
いや。別に全く思わないけど。。。。
何言ってんの?
お助
スケゾウ
。。。。。
でも話するね。
合気はなぜ合気と書くのか?
どうでもいいかもしれませんが、合気の文字にも合気の秘密が隠されていた!!と気づきました。
最近個人的に自分の合気が少し進歩した?と感じています。
それで僕の師匠が以前話されていたことを思い出しました。
何かと言うと、”合気は合と気と書きますが、この呼び方は凄いなぁ”と。
その当時は意味が分かりませんでした。
僕の合気が本物の合気かどうかは置いといて、最近合気がうまくかかるようになってきました。
感覚が大部分を占めるので、言葉で説明することは非常に難しいです。
言語化してみるとこうなります。
身体の気(仮)の部分を相手と合わせてしまう。となります。
何だか怪しいというか、気と言った時点でスピリチャルで技術じゃないと思われるかなぁと。
なのでここで”気”を定義します。
気=姿勢制御を行っている無意識の筋力(仮)とします。
筋力みたいなもので、普段意識しないところ。呼吸の時に使っている筋力とか。そんな感じのものだと思ってください。姿勢保持システムを意識している人はあまりいないと思うので、無意識の姿勢保持システムの軸とでも言えるかな?
自分のその部分を相手と同化させてしまう。
もう少し言い換えると、身体の軸を触らせるとでも言えます。とにかく腕を持たれても意識は軸です。
透明な力の中の写真で佐川先生が”身体の内部を観察している”ように見える写真があります。
何となく遠くを見ている感じで、腕を掴まれて合気をかけている写真です。
僕の理解はこうです。
身体の内部だけを見ている。
外に現れる、いわゆる”力”はノイズであってそれは無視しているように見えます。
力はノイズと受け取って、感度を上げてノイズを除去したある周波数だけとらえている
そんな感じがします。
あいきは、相気、愛気、合気と漢字で表現できます。一般的には合気です。やっぱり合気が1番しっくりくるなぁと思います。
合気は自分本意でやると上手くいかなくて相手に合わせて、一本に繋がる感覚があります。これがないと上手くいかないです。気と言ってるのは、筋力に代表される意識して発動する、”力”ではなく、無意識の姿勢制御に連なっている筋力だけを意識して、出来るだけノイズを消して”気”を合わせる。
だから合気と書くんだろうと。
普段意識することのない無意識下で制御されている筋力=気と言えるのでは?合気ではそれを合わせる、だから合気が上手くいくときはその“気”を合わせていることになる。
それを発動させるには、姿勢制御にどうやってアクセスするかを日々考え続ける必要があります。
この種のことは、考え続けると答えに近づくことができます。ヒントは色々なところに転がっているはずなので日々意識し続けると、あっそうかと、そういうことかと気づきが増えてくると思います。やはり佐川先生が17歳で気が付いたことは姿勢制御の力が無意識の領域にありそれを引き出してコントロールすると合気になると気付かれたのだと思います。
無意識下の力にアクセスするしかもその力は意識下にないので触られてコントロールされると逃げられないということだと思います。合気は目の付け所が違うと佐川先生の口伝にありますが正に目の付け所が違うと言えるのではと思います。
従来、武術は力と力のぶつかり合いをどうやって上手く相手を屈服させるか、力にどう勝つかがテーマだと思います。また、どうやって力を上手にいなすかもテーマになっています。でも合気は目の付け所が違う、力をぶつけ合う訳でもなく、またいなす訳でもない。しかも簡単な原理なのに誰も気づかない。無意識の姿勢制御システムを気と定義すれば、目の付け所が違うよねとなるのでは?でもそれを身体でどう理解して、使えるようにするかは非常に難しく、長い道のりだと感じます。日々考え続けて、試すしかないと思います。
合気探求の道は続きます
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