宮本武蔵の「五輪書」には、
うつらかすと云事
とあります。
五輪書 火の巻13-1に書かれています。
推測ですが、いや多分正しいと思うのですが。。。
多分合気のことを言っているのだと思います。
内容を引用すると下記の通りです。現代語訳となります。
うつらかす
というのは
物毎にあるものであるあるいは眠りなどもうつり、あるいは欠伸などもうつるものである
時がうつるというのもある大分の兵法にあっては、敵がうわついて事を急ぐ心の見えるときは、少しもそれに構わぬようにして、いかにもゆるりとなって見せれば、敵も我が事のように受けてその気分になり、弛むものである
そのうつった
と思ったとき、こちらから空の心にして、はやく強く仕掛けて勝利を得るものである一分の兵法にあっても、己の身も心もゆるりとして、敵の弛みの間を捉えて、強くはやく先に仕掛けて勝つのが専一である
またよわせる
といって、これに似ていることがある
一つは、無気力の心
一つは、浮かれる心日本古典文学摘集 五輪書 火の巻
一つは、弱くなる心
よくよく工夫あるべし
僕なりに意訳すると、こんな感じです。
どうでしょうか?
これは宮本武蔵流の合気の理解かなぁと思っています。
武蔵の自画像にそれが現れているように感じます。
有名な宮本武蔵の自画像です。
二刀流の刀に身体を預けて、刀と一体化しているように見えます。
さらに何となくボーっとして焦点が合っていないように見えます。
この前、僕の合気の師匠から聞いた話では、この武蔵の自画像の意味は、
武蔵が二刀流の剣の重みで自分に合気をかけている、だから何となくボーっとして感じに見える。自分に合気をかけているから、相手が剣触れてしまうと”合気をうつらかせて、相手に合気がかかる”
合気がうまくかかるときは、大体こんな感じです。
- 力んでいない
- 相手に引っ張られている感じがする
- 掴まれている箇所に意識は無い
- 何となくボーっとしている
- 全身に一本何かが通っている感じがする
- 相手と一体感がある
こんな感じです。
佐川先生の数少ない写真を見ても、力を入れずにボーっとしているように見えます。
この武蔵の自画像に似ている気がします。
やはり、なぜ合気と書くのか?で触れたように気(便宜上気と表現しています。)を合わせるということが重要ですね。
この自画像は合気のヒントなんだろうと思います。
合気探求の道は続きます