合気について、考えて調べ出すと様々な疑問が出てきます。
そして色々な本に答えがないかと探し出してしまいます。
僕もそうです。
お助
なんか参考になる合気本あったの?
あったよ。最初は分からなかったけど、すごいことが書いてあったよ。
スケゾウ
今回は保江邦夫さん、浜口隆之さんの”合気完結への旅”
を読んで思ったことを書いていきたいと思います。
この本はオーラとか、魂を重ねるという、スピリチュアルな保江さんと
あくまでも技術面で話される浜口さんとの対談で進んでいきます。
保江さんの意見も、あながちスピリチュアルでもないと思う部分もあります。
僕なりに思ったことを書いていきます。
合気完結への旅の考察
最初に合気を体験して合気がホントにあるということが分からないと始まりません。
あの不思議な感じは体験しないと分からないので、合気を使える人に合気をかけてもらってください。
ちなみに僕は浜口さんと同じ意見で、合気は技術だと思ます。
でも、それだけとも言い切れない部分もあります。
でもやはり、合気は身体操作の技術だと思います。
目次
スピリチュアルな合気
保江さんは合気はオーラだと話をされています。
- オーラ
- 魂を重ねる
- 僕(しもべ)になる
一つずつ考えます。
オーラについて
保江さんは合気をかけるとき、オーラが自分の後頭部から出て、相手を包み込む
腰まで包めば、腰まで操作できる。膝まで包めば膝が折れる。
ということを話されています。
正直オーラ?って聞くと、胡散臭い感じがしますよね?
僕もそう思います。
でも少し視点を変えると、それもある意味技術であるのでは?言えるのではと思います。
つまり意識で身体の内部を動かして、その結果オーラが侵食していくというなら
それは技術と言えるとも思います。
魂を重ねる
これも表現がスピリチュアルな感じですが、技術なのかなぁと思います。
”透明な力”にも書いてありますが、身体を一本にする。
これを別の言い方をしてるのだと思います。
僕になる
これは相手の力に反応せず、力まないということを実践するために
僕になるという表現をしているのだと思います。
オーラ、魂を重ねる、僕になる
これらは、身体操作の技術と言えるのではと言うのが僕の意見です。
技術的な合気の原理
浜口さんの技術面の合気は、参考になります。
巻末にまとめられている”参考資料 身体合気方法論序説”を読んでみてください。
僕が合気だと思っている方法と似ている部分が多くあります。
下記に引用します。
たとえば、室内で何か作業をしていて、ドアをノックする音が聞こえたとします。音が大きければ、「誰かがドアをノックしている」ということを認識するだけです。しかしその音がもし、聞こえるか聞こえないかぐらいの微かなものだったら、「あれ?いま何か聞こえたような気がしたけど何だろう」という意識が働き、作業を中断してドアに目を向け耳をすませるでしょう。この反応は無意識に起こる本能的なものです。つまり我々は、閾値ぎりぎりの刺激を受けると、自動的に感度が上がってしまい過敏状態になるのです。
合気完結への旅 222ページ
言い換えると、
無意識の反応を閾値ぎりぎりの刺激で引き出して、それを制御して相手の力を無力化する。
となります。
無意識の反応で何を引き出すか?
ちょっとここでは書けませんが、良く考えてもらえば分かると思うので考えてみてください。
錯覚と思い込み
場合によっては錯覚や思い込みも利用できます。
これも本の中で触れられています。
”参考資料 身体合気方法論序説”の内容とほとんど同じです。
いつも通勤で使っている駅の階段のことでした。毎日そこを降りたり登ったりしていると、意図しなくてもタタタタと昇り降りできる。ところがあるとき、ちょっとした工事かなにかで、いつもの階段の一カ所で、5ミリ高いか低いかになっているだけで、そこで転ぶんだよ、人間は。
合気完結への旅 42ページ
例えば、数十センチの段差を飛び降りる時や階段を昇り降りで、人間は着地点や階段の終わりや始まりを
予測して行動しているため、予測が外れるとカクンとバランスを崩します。
階段を降りる時、一段予測を外すとバランスを崩しますよね?昇るときも同じで、これが最後の段だって思い込んでたけど実はもう一段あったなんて時もバランスが崩れます。
これは誰でも経験があると思います。
人間のバランス制御方法は、予測と思い込みに支配されているということです。
スピリチャルなの?
この本で、保江さんが話されているオーラとか魂を重ねるということは
無意識の反応を引き出すための、一つの方法だと思われます。
閾値ぎりぎりの刺激を与えるための一つの方法論です。
オーラで相手を包み込むということは、透明な力に書いてある
一本になるという意味ではないか?言い換えると相手と同化する手段なのかと。
「魂を重ねる」「僕になる」も、ある意味非常に近い意味で
閾値ぎりぎりで、相手に対峙する心構えだと理解できます。
力感を消すための、具体的方法の一つだと。力感があると閾値ぎりぎりを攻めることは出来ません。
力感を消して、魂を重ね、僕になり、一本になる。
まとめ
まとめると、やはり合気は技術だ。
となります。
技術なので合気の理屈を考え続けることが必要です。
それを知ったうえで、
- 身体を作り込む
- 鍛え方を自分で考える
- 身体操作を練習する
- 合気をかけてもらって、自分なりに考える
- 何度も練習する。
- 無意識でも、技術を発揮できるように何度も練習する
- 積木のように、慎重に組み立てる
鍵は、無意識の反応です。
透明な力にも、この合気完結への旅にも書いてある通り
無意識の反応を閾値ぎりぎりの刺激で引き出して、それを制御して相手の力を無力化する。
そして相手が崩れる方向に倒す。
合気は力ではない、合気は気ではない。
無意識の反応を利用した身体操作の技術。
それが分かってるかは合気あげを見れば分かる。
合気探求の道は続きます
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