合気はオカルトなのか?
今回はこれについて考えます。
結論から言うと
多少オカルト要素があることは否定できない。
というのが現時点の僕の考えです。
この話をするためには、オカルトをどのように定義するのか?
という問題があります。
と言ってのやはり僕は技術がメインだと思います。
目次
合気に関する疑惑色々
合気には様々な疑惑があります。これは、非常に不思議な現象が目の前で繰り広げられるので、仕方がないかなぁと思います。
これは合気を掛けられた人なら分かると思いますが
やらせではないです。
もしやらせ疑惑がどうしても晴れない人は
ネットで本物っぽいところに行って
合気を掛けてもらえば分かります。
こればっかはいくら言葉を重ねても、実際に体験してもらしかないです。
僕も合気って。。。。
昔はあったかもしれない、でも佐川先生もお亡くなりになって
継承者もいないし。。。。。誰も出来ないのでは?
と思っていました。
でも合気はあった。(正確には合気か分かりませんが、合気=力の無力化と定義すればありました。)
今はネットの時代なので、ご自身で調べれば案外近くに合気と看板を出している
道場なり同好会みたいなのがあると思います。
僕が研究しているところも、個別に問い合わせ頂ければお教えします。
これは慣れに似てます。
要は弟子の慣れ思い込みにより合気がかかる。
これは合気の原理の裏側です。つまり合気の原理の一つとして
思い込みをずらすということがあります。
自分から思い込みをずらしていくパターンと言えます。
何と言うか、我思うが故に我ありなので
ややこしいのでここではそれ以上突っ込みません。
一番の問題はこれだと思います。
合気はお金になると、価値のない商材を販売している。
まぁ信じる人がいて成り立っているので、ある意味それもありかもしれないですね。
合気とは何か? 合気の定義
では合気とは何でしょう?
僕は、合気=力の無力化と定義しています。
透明な力にも書いてあります。
何事も定義しないと始まらないので、合気=力の無力化として話を進めます。
オカルトの定義
次にオカルトとは何か?
こう定義します。
オカルト=現代科学で説明できないこと
もう少し深く定義するとこうなります。
現代科学では説明できないが、現象としては存在していて
その一部は世間一般で認識されている。
テレパシーやUFO、他には百匹目の猿現象など
これらは恐らく、現代科学で説明できないだけで
いずれ科学で証明できる時が来るかと思います。
オカルトとしか言えない
オカルトをこう定義すると
オカルトと言うしかない、という表現も腑に落ちると思います。
合気には
言葉と科学だけでは説明できない側面がある。
どうも、最近そうとしか思えない
ということがあります。
なのでオカルトと言うしかない。否定できないんです。
具体的に言うと、気(便宜的に気と言います。スピリチュアルな世界の気とは異なります)を腕に溜めた状態にすると
相手が腕に触ると、相手の力が無力化される。
という現象が起こります。
なのでオカルトとしか言えないと、それを完全には否定出来ないのです。
お互いにスピンする量子
保江邦夫さんの
合気完結の旅という本に量子力学と合気の関係が書かれています。
僕は物理学に関しては素人なので、詳しく説明出来ませんが
色々説明されているので、よろしければ読んでみてください。
保江さんの合気の説明は
オカルトです。
でもある意味正しいのかなとも思います。
下のリンクは量子のもつれの撮影に世界で初めて成功したという記事です。
少し引用させてもらいます。
例えば、一方の粒子を観測したときのスピンが上向きであれば、もう一方は瞬時に下向きになる。このような量子もつれにある2粒子間の状態は、どれほどの距離──たとえ銀河の端から端という途方もない隔たりがあろうが、維持されるのだという。この同期の速度が光の速度を超えるという、まるで空間など存在していないかのような非局所性から、偉大な物理学者アルバート・アインシュタインが、かつて「不気味な遠隔作用」と呼んだほどだ。
合気的に理解すると、自分の身体の内部の働きが量子のもつれにより相手に伝わり逆方向の反応を誘発させる。
と言えるのでは?と思います。
絡合
世界はヒッグス粒子で満たされていて、それが反応しあっている。
という理論があります。
実はそうでなくて、絡合物質が満たされていて、それがお互いの反応を誘発させている。
と武田邦彦さんがネット番組で話をされていました。
合気も絡合と関係あるのかもしれません。
合気の技術
ここまで読まれて、何か怪しいなこの人
と思うかもしれませんが、僕は合気は技術だと思います。
同時に、オカルト=現代科学では説明出来ないこと
とも言えます。
でもやはり技術の側面が大きいです。
まとめ
合気はオカルトか?とのことで書かせてもらいましたが
やはり技術としての合気があってからこそです。
どうも科学では説明出来ないことが起こっていて
それを便宜上オカルトと呼びました。
このオカルトでは?に辿り着くには、合気の技術がないとダメです。
なのでやはり合気は技術と言えます。
植芝盛平翁が稽古前に祝詞を上がられていたようですが
なぜか?
なぜ祝詞なのか?
ここにも合気は技術だけとは言い切れないということが
隠されているのだと思います。
合気探求の道は続きます。