長野県下伊那郡阿智村に鎮座する、式内阿智神社前宮の参拝です。
式内というのは、神社の格付けみたいなもで延長5年(西暦927年)にまとめられた「延喜式神名帳」(えんぎしきじんみょうちょう)という当時の神社一覧に記載されている神社のことです。
簡単に言うと、歴史のある神社でそこらの新興神社とは格がちがうぞ!
ということですね。
歴史と成り立ちを調べてくと、この阿智神社も非常に興味深いものとなっています。
式内阿智神社前宮
昼神温泉の温泉街から、ぶらぶら散歩するのはちょうどいい場所にあります。
昼神温泉の温泉街では観光客用?に朝市を開催しているので早起きして、朝市のついでに参拝されるのも良いと思います。
目次
成り立ち 歴史
阿智神社は、式内とあるくらいなので少なくとも1000年以上前から鎮座しています。
実際は、それよりはるか昔からこの地にあったと考えられます。
由緒から考えると、神武天皇即位の前なので少なくとも2680年以上前となります(現在は西暦2020年、令和2年です)。
御祭神は、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)と天表春命(あめのうわはるのみこと)。
相殿の神に、建御名方命?
えっ?なんで?
ここで少し話がそれます。
神と命は何が違うのか?と個人的に疑問に思っています。
建御名方神か、建御名方命か?
建の字も由緒に記載されている「健」が人偏なので、本来こっちが正しいのかな?という気もします。
話を戻します。
神社に入り口にある由緒には、こうあります。
この由緒には、色々書いてあって全て重要なのですが、分かりやすくものすごく簡単に言うと。
それなのに、なぜ建御名方命の名前が相殿にあるのでしょうか?
さっぱり分かりません。
一応由緒はこうです。
先代旧事本紀に高皇産霊尊、兒天八意思兼命、その兒天表春命と共に天降りまし信濃国阿智祝等の祖となり。越後より信濃に跋扈する出雲系諏訪族に対抗する天孫系氏族の尖兵と信濃の国境を押さえる最重要地点御坂の東麓き来たり駐留し、その部曲の民を率いて阿智地方を中心に伊那西南部一帯の経営開拓にあたった。信濃三大古族の本拠で駒場町鎮座安布知神社と共にその祖先神、守護神を祭る神社。奥宮は阿知川を遡ること2㎞の地点にある。以上は社頭掲示板の由緒であるが、日本書紀では神武天皇20年9月、倭漢直(やまとのあやのあたい)の先祖、阿知使主(あちおみ)がその子都加使主(つかのおみ)および17県の自分の輩を率いて来たとある。朝鮮からの渡来人の中で、秦氏族が秦の始皇帝の末裔を称していたのに対し、漢の皇祖を祖とする氏族が東漢で皇祖の子孫に「阿智王」がいる。神社の由緒では「阿智王、阿智使主(おみ)」に言及していないが、岡山県倉敷市の阿智神社は交通の要所から宗像三女神を祭神とするものの、由緒では「倉敷の古名は『阿知』であり、当社は倉敷総鎮守の神社である。日本書紀応神記(4世紀)に阿知使主(あちのおみ)が韓国より17県の人達を率いて帰化してきたとあり、阿知使主の一族がこの地に住み着いて、養蚕・絹織・縫製・鉄文化等の先進技術を伝え、広め、大いに栄えたことに由来している」としている。
阿智神社由緒の看板より
阿智神社前宮の場所
〒395-0304 長野県下伊那郡阿智村智里昼神
駐車場は、温泉街の昼神観光局が利用できます。
昼神温泉に宿泊された場合は温泉街から、徒歩10分程度です。阿智川の橋の神社側からだと5分程度です。
東山道沿いの意味
阿智神社前宮は国道256号線沿いにあります。
これは昔の東山道沿いとなるようです。
五畿七道の一つです。
僕もよく知りませんでしたが、東海道が発展する前は、近江から陸奥までの主要街道だったようです。
10世紀ぐらいまでは、大きな川を渡る必要がある東海道より、山の間を進む東山道の方が使えるという感じです。
渡し舟や橋が整備されると、東海道がメインになっていき、東山道は主要街道ではなくなります。
でも10世紀までは、東山道沿いの阿智村が信濃国の入り口でした。
つまり信濃国に出入りする時には、要所だったということです。
つまりこの要所を守る必要があったのです。
建御名方命と八意思兼命
諏訪大社の御祭神である建御名方命を信濃国から出さないために、八意思兼命が派遣され
阿智村に防衛線を張ったとあります。
天思兼命(八意思兼命)は高皇産霊尊の子であり、その子・天表春命を伴って信濃国に降り、 神坂嶺下の安智に居して諏訪族を警戒した」
阿智村誌
国譲りの神話は、ここにもつながっていると。
やはり大和の勢力は、出雲勢を恐れていたのだと思います。
僕は「国譲り」は古代にあった、戦争を書いていて
出雲勢側の、国譲り反対派のリーダーが建御名方命であった。
最終的に負けてしまい、信濃国まで逃げたと思っています。
出雲勢が態勢を建て直して、攻めてこないように。
別の言い方をすると、出雲系勢力を信濃国に封じ込めるために、要所である東山道の信濃国入り口を封鎖したのではないでしょうか?
阿智神社前宮の空気感
国道沿いの鳥居をくぐり、坂になった小道を少し上っていくと鳥居があります。
この鳥居をくぐり抜けて、振り返るとこの景色です。
巨木があり、歴史とすがすがしさを感じさせます。
もう一つ鳥居をくぐると、社殿があります。
周りを、背の高い杉?に覆われていて、少しひんやりした感じです。
社殿自体は、それほど大きくないです。
夏の暑い日に参拝しましたが、良い風吹き心が洗われました。
この前の日に参拝した、諏訪大社上社本宮に近い空気感でした。
まとめ
昼神温泉は、何度か泊まりに来ています。
でも阿智神社の参拝は初めてでした。
参拝した後、腑に落ちないことがありましたが、
色々調べて、考えて、そして自分なりに納得できました。
恐らくこういう事だと思います。
- 元々は出雲勢を封じ込めるためだった
- でも祟り神になられても困るので相殿の神とした
- 数百年の間に、敵も味方もなくなった
- それからさらに数百年で、出雲勢も何も関係なくなった
出雲も大和も山岳信仰も、すべてまとめて神様として崇めてしまうという
懐の深さが、神道の特徴なんだと思います。
和を以て貴しとなすの考えが生きているとも言えます。
スケゾウ
元々は出雲勢を封じ込めるためだったんですね。
建御名方命は敵の残党の親玉となるんだけど、それまでも包み込んでしまうのが神道の良いところだね。
ホントかい?
解釈は、色々でそれがまた楽しいなぁと。
関係ないですが、満天の星空ツアーお勧めです。
では、神社巡りで豊かな人生を!
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