パワースポット訪問 諏訪大社 国譲りと御柱の不思議

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日本は世界で一番歴史が古い国って知ってました?

神武天皇即位から、今年は2680年。

そうです。今年は、皇紀2680年です。

神話の世界から、脈々と続いている日本のパワースポットである、神社について個人的見解含め独り言をしたいと思います。

諏訪大社

長野県の諏訪湖周辺に鎮座する神社で、諏訪湖周辺に4か所あります。

諏訪大社は、変わっていて4箇所に分かれています。不思議です。

今回は、上社(かみしゃ)の本宮(ほんみや)の参拝です。

諏訪大社は二社四宮で成り立っています。

上社下社
本宮(ほんみや)と前宮(まえみや)春宮(はるみや)と秋宮(あきみや)
二社四宮

成り立ち 歴史

諏訪大社、上社本宮含む4つの神社は、日本最古の神社の一つとされています。

古事記によると、天照大御神の孫である、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨する際、建御雷神(たけみかづちのかみ)が大国主神(おおくにぬしのかみ)に国譲りを迫った。

大国主神の次男である建御名方神(たけみなかたのかみ)が、それに反対して建御雷神に戦いを挑んだが負けてしまい。諏訪まで逃げたのが始まりだと言われています。

ややこしいですね。

  • 日本建国当時、いくつかに分かれていた勢力の一つに出雲を中心とする勢力があった。
  • その勢力は結果的に、大和朝廷に平和的に吸収されることになる。
  • しかし、それに納得できない出雲勢もいて、戦争となった。
  • 何度かの争いの後、反対派は鎮圧される。
  • 平和的に吸収された勢力は出雲に残った。
  • 反対派が戦いに敗れて諏訪に移住していった。

別の言い方をすると、島流しで諏訪に退いたとも言えます。

日本の神社は世界に誇れるものです。

建国神話に出てくる話が、21世紀になった現在でも信仰とともに残っていて、

しかも実際に、まだ社が残っているという世界史的に見ても非常に稀な存在です。

と言うか、広い世界の中で日本だけです。

これは諏訪大社に限らず、近くの神社に案外すごい歴史がる場合が多々あります。

神話時代から脈々と現代まで続いて単なる遺跡でなく、生活に根付いているという

外国から見たら正にミラクルという国が、我が国日本です。

古代の国家統一物語が神社の成り立ちの中に残っている訳です。

しかもその時期は、数百年という単位ではなくもっと古いです。

神武天皇即位は2680年前なので、少なくともそれより、はるか昔ということになります。

ということは単純に考えても2680年以上前。すごい時間軸ですよね。

話が少し逸れてしまいましたが、

戦いに敗れて出雲から移ってきた出雲の系譜の神々が祀られています。

諏訪大社 上社本宮の場所

長野県諏訪市中洲宮山1

諏訪インターから車で10分ぐらいです。

僕は東参道駐車場の方から入りましたが、鳥居の方が正門っぽいのでそちらの方が良いかと思います。

駐車場は広くて、駐車しやすいです。駐車場代は無料でした。

諏訪大社 上社本宮 東参道駐車場

御神体

諏訪大社上社の御神体は、守屋山と言われいます。

御神体が祀られている本殿がないという不思議な神社です。

僕の個人的見な考えは、古代からある山岳信仰と出雲の神々の信仰が融合して、本殿がないという変わった形になったというものです。

そもそも、御神体という考え自体が、現在の伊勢神宮の系譜なのかもしれないです。

御柱のこと

諏訪大社 上社本宮一之御柱

諏訪大社のには、御柱(おんばしら、みはしら)と呼ばれるモミの木の柱が四隅に建てられています。

どうやら、諏訪にある神社には大小にかかわらず四隅に御柱が建てられているようです。

これも個人的には、すごく不思議です。

でも小さな祠も、諏訪大社の分祀と考えればそうなのかなぁとも思います。

この御柱は7年に一度行われる”御柱祭”により新しいものに変えられます。

正式には式年造営御柱大祭(しきねんぞうえいみはしらたいさい)と言います。

あの丸太が川を渡って、土手から滑り落ちるあれです。テレビで見たことありますよね?

この御柱祭に関しては、

その成り立ちなど、興味のあるかたは、専門書やマニアックなサイトを見てもらった方がためになると思います。

なので、ここでは僕の考えを書きます。完全に個人的な解釈なので、ふ~んという程度で読んでもらえばいいかなと思います。

  • 諏訪の神々は、もともとは出雲の神々で大国主神の系譜
  • 出雲大社は、国譲りの条件として二つの要求を出したと言われています
  1. 天にそびえる社を建てること
  2. 目に見えない「幽世」は大国主神が治める

この天にそびえる社がキーワードなのだと思います。そんなに高い神殿は一体何のためだったのか?

古代の出雲大社の本殿は、96M、48Mの説があります。

48Mはホントだったのでは、と思ってます。

平安時代の口遊(くちずさみ)に

雲太、和二、京三という、当時の建物の高さ比べの歌があります。

出雲大社が日本一、二番が奈良の大仏(46M)、3番が京都御所という意味です。

なので48Mはホントだったと思います。現にそれを支えたと思われる柱も2000年ぐらいに発掘されています。

建築業界大手の大林組も48Mの高さであっただろうと言っています。

話が横道にそれてしまいましたが、天にそびえると言うのが、キーワードで大国主神が要求した神殿っぽくないですか?この御柱が。

出雲の系譜の諏訪大社は、天にそびえる柱(神殿)が必要で、それを7年ごとに建て替える。

この宮殿は、天と交信する基地みたいなものだったのではと思います。

オカルトっぽい話になってしまいましたが、みなさんはどう思われるでしょうか?

御柱の先端を紐で結んで、アンテナの役割をさせて、何かと交信していた???

雷電の像

僕は幻の武術と言われている合気を探求しています。

なので伝説的な武術家に関しては、普通の人より多少知識があります。

ここには何と、大相撲史上未曽有の最強力士だったと称されている、雷電為右衛門の像があります。

ここに来るまで、まさか雷電の像があるとは知りませんでした。

雷電為右衛門の像

あまりにも強すぎたため、4つの技を禁じられたと言われています。

通算254勝10敗2分、勝率96%という驚異的な成績を残しています。

手形があり、僕も手を合わせてみましたが。。。

でかい。。。

身長197cm、体重169kgだったそうです。

雷電の出身地は、信濃国大石村(現在の長野県東御市)で諏訪大社とは直接のつながりはないようです。

ではなぜ雷電の像なのか?

それは建御名方神(たけみなかたのかみ)が祭神だからです。

祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)は、国譲りの際に、建御雷神(たけみかづちのかみ)と力比べを行ったとあります。

それが相撲の起源とされていて、諏訪大社上社本宮には土俵もあります。神事として奉納相撲が行われており、それにあやかって雷電の像があるのではと思います。

まとめ

今回は諏訪大社の上社本宮に関してでした。

このケヤキの木は樹齢約1000年です。世代を超えて伝えられるものを感じます。

神社は、全国各地にあります。

その由緒を詳しく読んでみると、どの神社にも興味深い歴史があります。

我が家の近所の神社を参拝していても、大変興味深く面白いです。

神社には独特の空気感があり、神々しくホントに何かいるような感じがします。

ちなみに、諏訪大社は伊勢神宮とは一味違った空気感があります。

神社はどこにでもあるので、旅行のついでに立ち寄ってみると良いかなと思います。

神社巡りで豊かな人生を!

sukezo

sukezo

豊かな人生ををテーマに、情報発信していきます。
ギター歴30年以上、ヘタレなバイク好きです。

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