長野県の諏訪湖周辺に鎮座する、諏訪大社は日本最古の神社の一つと言われています
諏訪大社には、上社と下社があり、上社下社はそれぞれ2つに分かれています。
上社 | 下社 |
本宮と前宮 | 春宮と秋宮 |
諏訪大社 下社 秋宮
長野県の諏訪湖周辺に鎮座する、4社のうち今回は下社の秋宮参拝です。
目次
成り立ち 歴史
諏訪大社4社は、古事記の国譲りに出てくる建御名方神(たけみなかたのかみ)とその妃である八坂刀売神(やさかとめのかみ)が祭神となっています。
全国に約25000社ある、諏訪神社の総本社となっています。
全国にあるコンビニの数が、2018年のデータで58,340件なので、25,000社というのはかなりの数だと言えます。
成り立ちは、古事記に記載があります。
古事記の「国譲り」に登場する、建御名方神が祭神ということは少なくとも2680年以上前ということになります。
今年(2020年)は、皇紀2680年です。神武天皇即位から2680年なので、それ以前ということになります。
諏訪大社 下社秋宮の場所
長野県諏訪郡下諏訪町上久保5828
上社前宮から、車で20-30分ほどで到着します。
駐車場は、神社の隣にあります。鳥居の右側に入り口があります。
僕が参拝した時は、駐車料金は無料でした。
祭神 建御名方神について考える
祭神の建御名方神は武神と言われています。
坂上田村麻呂、源頼朝、武田信玄、徳川家康は建御名方神を崇拝していたようです。
でもここで疑問が出てきます。何かと言うと、
建御名方神は「国譲り」で敗走して信州の諏訪湖に逃げています。
つまり負けているんです。建御雷神に。
負けているのに、なぜ武神として崇拝されているのか?
この点が、ものすごく不可解です。
正直何でかは、色々調べてみましたが納得できる説明はなかったです。
僕なりの結論は、こうです。
- 信濃からの視点では、建御名方神は征服者となる
- 「国譲り」で信濃に逃げたが、信濃は征服できた
- これにより支配者が守屋大臣から建御名方神に交代した
こう考えると、強かったから信濃の国の新たな神となり諏訪明神となった。
強い=武神
となります。
でも正直なところ、腑に落ちないです。
今後も調べていこうかと思っています。
建御名方神は、もともと存在していない?
建御名方神は古事記には登場しますが、日本書紀には登場しません。
しかも出自も、他の神々と比べると曖昧です。
と言うことは、こうも考えられます。
- 建御名方神は、もともと存在していない。
- 古代から信濃で崇拝されていた神とどこかですり替えられた。
- その方が、大和朝廷の権威付けができる。
こんな政治的背景もあったと、考えられるのでは?とも思います。
ただ、建御名方神の伝説は各地に残っているのでホントはどうだったのか?
個人的には、他の伝承にも残っているように建御名方神は存在したと思っています。
秋宮の御柱
当たり前ですが秋宮にも御柱が4本あります。
配置も他の諏訪大社と同じです。
秋宮の三之御柱と四之御柱は、奥にあって見ることは出来ますが触れません。
一之御柱と二之御柱には、実際に触れることができます。
ここでも御柱に失礼のないように、そっと触らせて頂きました。
触った感覚では、一之御柱の方に少し強い波動を感じました。
僕には霊感はありませんので、ただの思い込みかも知れません。
個人の感想です。
上社の前宮だと四之御柱が一番強く感じましたが、ここでは一之御柱でした。
一応、僕は幻の武術と言われている合気を探求しているので、武神と崇められている建御名方神の御利益を頂ければいいなぁという思いもあり、御柱に触れさせて頂いた次第です。
まとめ
神社巡りは、このように色々考えさせられるのと同時に、日本の神話をあらためて勉強し直すいい機会になります。
我が国日本の歴史と成り立ちを神社巡りを通じて、神話時代から学び直していこうかと思います。
神社は、どこでも独特の空気感があります。
しかも大体の神社は、それこそ数百年前からその他に鎮座していることも珍しくないです。
ということは、その場所に鎮座する理由があって、やはりパワースポットになっていると考えられます。
神社巡りで豊かな人生を!